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どら焼きの歴史や由来には楽器や山が関係していた!?老若男女に愛される和菓子が誕生した秘密
漫画のドラエモンが大好物だというどら焼きは、ふっくらとしていて中には餡子がたっぷり入っていますよね。
和菓子の中でもどら焼きが大好き!という人も多いのでは?
ホっと和むような優しい甘みと、ふんわりしたカステラの口当たりがおいしいですよね。
子供から大人まで多くの日本人に愛されているどら焼きですが、その起源はどこにあるのでしょうか?
ここではどら焼きの知られざる由来や歴史についてご紹介していきます。
どら焼き名前の由来はある物に似ていたことから…?
どら焼きの「どら」って、変わった名前ですよね。「どら」とは何に由来しているのでしょうか?
有力な説は、楽器の「どら」です。
どうやら、昔の楽器「どら」に、形や色を似せてどら焼きが作られたそうです。
円盤状の形をしていたどらを見立てて、現在のどら焼きというアイディが完成されたのですね。
さらに、カステラの生地を焼く時、均一かつ綺麗に生地を焼き上げるには、円盤状にするのが合理的とも言えます。
また、丸くおさまる円満なイメージも縁起が良いとされています。
これもあって、どら焼きは今のような形に落ち着いているのでしょう。
その他のエピソードには、こんなものもあります。
源義経が、奧州へ落ちのびる時、武蔵坊弁慶が楽器のどらで焼き上げた生地に餡子を合わせてお菓子を作ったものが、後のどら焼きになったという説です。
ふっくらとしたカステラの生地2枚の間に餡子をはさんだスタイルは、実は比較的最近確立したものでした。
どら焼きの歴史にはおもしろエピソードがある?どれが本当なの?
手軽に食べられるどら焼きは、おやつやお土産としても人気がありますよね。
しかしはっきりした起源は分かっていません。
どら焼きに限ったことではありませんが、有名なお菓子は大体、いつのまにか出来上がっていたというケースが多く、明確な起源が謎なままのことも多いです。
どら焼きの歴史として一説には、源義経奥州へ逃れる道で、弁慶がある民家で怪我の手当をしてもらった時、お礼として熱した
どらで生地を焼きあげ、餡子を包んだお菓子を作ったのが原型と言われています。
当時は砂糖が高級で貴重だったため、蜂蜜で作った可能性もあります。
この説について、逃亡中にそもそもお礼としてお菓子を作っている余裕があったのかどうか、貴重な蜂蜜を、逃亡中にどのように入手したのか?というツッコミどころもあり、この説に疑問はいまだ残っています…。
しかし弁慶がお世話になったのはただの民家ではなく、もっと裕福なところで材料が全て揃っていた可能性もありますよね。
この説と似た説に、こんな面白いエピソードもあります。
弁慶が民家にお世話になったというところまでは共通していますが、療養後に民家を出て行く時、お礼としてどらを置いていき、そのどらを使って生地を焼いてできたのが、今のどら焼きという説です。
この説にも、楽器のどらを本来の用途ではなくお菓子作りに使ったの?というツッコミどころが出てきますが…。
また、奈良で神聖な山とされる「三笠山」がどら焼きの起源という説もあります。
三笠山にどら焼きの形が似ていたからです。
どら焼きの意味
どら焼きは、小麦粉と卵、砂糖を混ぜて丸い形に焼き上げ、2枚の皮の間に餡子をはさんだ和菓子を意味しています。
どら焼きの語源は楽器や山から来ていた?
どら焼きは円盤の形をしているのが特徴的ですが、この形は昔使われていた円盤状の楽器銅鑼(どら)に由来しています。
別名には「三笠」という名前もありますが、これは奈良県の三笠山が由来です。
どら焼きの種類
どら焼きというと、中に餡子がはさまっているのがスタンダードですが、今はさまざまなどら焼き専門店で、もっと進化したどら焼きが登場しています。
どら焼き好きな人でしたら、豊富な種類をもうお試ししたことがあるのでは?
・生どら
私もどら焼きが好きですが、餡子がたっぷり入ったオーソドックスなどら焼きの他、「生どら」と呼ばれる生クリーム&餡子がたっぷり入った洋風デザートのどら焼きが大好きです。
もっと凝った生どらだと、生クリームの他に苺やキウイフルーツなど、果物も挟んでカラフルに仕上げたものもあります。
生どらは1985年、宮崎県のカトーマロニエが、生クリームと小豆餡をホイップして挟んだどら焼きを、「生どら」と名付けて販売したことが始まりです。
・蒸しどら
その他にもどら焼きには、「蒸しどら」という種類があります。
蒸しどらは、蒸したカステラの生地に、カスタードクリームや小倉あんなどを挟んだどら焼きです。
生地には小麦粉の他、抹茶や桜、黒砂糖が使われることがあります。
生どらと並んで、普通のどら焼きから派生したバリエーションの一つです。