意外と知らない日本の伝統的和菓子「落雁(らくがん)」の由来や歴史

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意外と知らない日本の伝統的和菓子「落雁(らくがん)」の由来や歴史

落雁と書いて「らくがん」と読みます。

落雁と聞いてもピンと来ない日本人も多いでしょうが、目にすれば知ってる!という方もきっと多いはず。

日本の伝統的な和菓子で、色合いも綺麗で芸術的です。目でも楽しませてくれるような和菓子です。

落雁という名前は少し変わっていますが、名前の由来になっているのは何なのでしょうか?

今日は落雁の由来や歴史についてご紹介していきます。

落雁名前の由来は雁(がん)の姿だった?

落雁の名前の由来は一つだけではなく、いくつか定説がありますが、ここではその中でも有力なものをご案内しましょう。

中国の唐菓子である軟落甘(なんらくかん)の「軟」がなまって欠落し、近江八景の「堅田落雁」と、中国の「平砂の落雁」の風景が似ている事からも、「落雁」の字を使った説が有力です。

他の説としては、本願寺綽如上人がこのお菓子を天皇に献上した時、白の生地に黒ごまが点々としている様子が、雁が渡る姿を思い起こさせるものだったため、「落雁」としたというものがあります。

落雁はお菓子の種類の中でも「干菓子」に分けられ、その中でも「打菓子」、さらに「落雁類」に分類されています。

干菓子とは水分が少なくて乾燥した和菓子を指しています。

厳密には水分の割合が20%以下の和菓子で、落雁の他にも金平糖やお煎餅、八つ橋などが

干菓子に含まれます。

和菓子といっても幅広く、和菓子の中には生菓子や半生菓子、干菓子があり、干菓子の中に落雁や和三盆、八つ橋などがあります。

落雁はお米から作った澱粉質の粉に、水飴や砂糖を混ぜ、着色して型に入れて乾燥させで作ったものです。

落雁にも複数の種類がありますが、型に入れる時に餡や小豆、栗を入れて一緒にかためるのが定番です。

お土産としても喜ばれるでしょう。

落雁の歴史は中国にある?

落雁の歴史は古く、もともとは中国の明の時代から製法が伝わったとされています。

落雁の起源となったお菓子は「軟落甘」と言われており、日本でも茶席のお菓子として登場することが多いです。

古い記録によると、江戸時代の徳川三代将軍・家光公の時代に、初めて落雁が登場したとされています。

落雁の名前の由来は先ほど述べた通り、いくつか説がありますが、中国から伝来した「軟落甘」が変化して「落甘」、「らくがん」となったという説が有力です。

江戸時代からお茶の席やお供えとして親しまれていましたが、庶民が気軽に食べられるようになったのはもう少し後のことでした。

落雁の意味とは

落雁の土台はお米から作った澱粉質の粉です。

この粒に砂糖や水飴を入れて甘みをつけ、着色したら型に流しこんで作ります。

中身には餡こや小豆、栗が用いられることが多いです。

落雁の語源はどこから来ているの?

落雁の語源として有力な説には、中国の唐菓子だった軟落甘(なんらくかん)からきているとするものがあります。

他には、近江八景の一つ、堅田に降りてくる雁の光景にちなんでつけられたという説があります。

落雁は、穀類の粉に砂糖や水飴を混ぜて練り上げ、木型に押して乾燥させたお菓子です。日本の伝統的な和菓子としても有名で、着色することによって色とりどりの落雁が作れるため、おしゃれな和菓子としても人気です。

お盆の時のお供え物としても親しまれています。

古い時代にお釈迦様の弟子が、お盆の時期に僧侶達に振る舞ったという言い伝えもあります。

砂糖がなかった時代は、果物が供えられていましたが、果物だと日持ちがしないため、保存のきく落雁が代替品として選ばれるようになってきたのです。

江戸時代に落雁が茶菓子として人気になってくると、お寺のお供え物としても、四季の草花や祝い事の為の鶴、亀、鯛、松竹梅など、さまざまな形の落雁が作られるようになり、バリエーションが増えていきました。

地域によっては餡子を入れた落雁もあります。

落雁にはユニークな種類のものもある!?

普通の落雁は、栗や小豆を使ったものが多いですが、最近はユニークな組み合わせの落雁も登場しています。

例えばココアを使った洋風の落雁や、石川県では地域特産のだったん蕎麦茶や野菜を使った落雁も作られています。

通常の落雁とはひと味違った、ユニークな味わいが楽しめるでしょう。

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